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ちまたで言う生きる意味、生きる価値とかって、たいてい生きているときにのみ成立するものだったりしませんか。そうならば、生きる意味・価値になってない。
死んでいるときにも、その意味・価値が成立しなければ。積極的に生を選択する理由にならない。

生きる意味なんて人それぞれだよー、生きるのに意味なんてないよー。と言いながら、死んだらダメだよ、あなたが死んだら私が悲しむよと、シニタイとつぶやく人に言うのも説得力ないものだけど、現代はそういうしきたり。文化。

生を選択するわけでも死を選択するわけでもなく、漫然と生きてそのうち死ぬのもなんかやだね。

生状態から死を選べても、死状態から生を選べないというのはある。

しかし、こういうことを書くのも現代ではタブーかもしれない。

すみません!すみません!

自由恋愛、自由に職業選択ができるようになるとは昔は思わなかったかもしれない。そもそも恋愛なんて概念はナカッタノダー。そのうち死も不自由なく選択できるようになる時代がくるのかしら。

(とか私が書いてて、このあと事故死でもしたら、自殺じゃないか?!とか思われるんだろうか。ガクブル)

生きたい!生きたい!

(「死にたい」、とは誰もが言うから、逆に「生きたい」とか言われるとほんとにこいつ死ぬんじゃないかと思ってしまう。

何回か自殺未遂をしている躁鬱の子がこの前ついに成功させたという話を聞いたときは死に至る病とはこういうものかとよく分からないことを思った。

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