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休み明けに、近所の道路に色とりどりのチョークで落書きがしてあるのをみた。
イスラムの昔の地図って、実は子供が書いたものなのではないかしら。
それによく似ていた。

森鴎外のヰタ・セクスアリスを読みました。初めての鴎外がこの作品っていうのもなんだか酷いですね。
丁寧に扱うのが難しそうな題材ですが、努めて冷静な視点から書かれているので読み手である私も冷静に思考させられてしまいます。
難しい言葉や古い言葉が多くて辞書を引き引き読まねばならなかったのですが、その分言い回しやら昔の習俗やらが勉強になりました。
やばいって、矢場で矢を回収する仕事が危ないことから転じたんですねえ。(<-wikipedia)
この時代の小説というのは、どこまでフィクションなんだろうといつも思うのです。そこですべてフィクションだと仮定して読んでみたら、全体からすると些末な部分も設定が精緻であって、近年の作家の小説ではみられないものだと思いました。事実に基づかない創作物語においても、これぐらいの設定した上で描かれれば足のついた物語になるだろうなあと思いました。

印象深かったのはここ。
図書カード:ヰタ・セクスアリス
青空文庫から引用させていただく。

Schopenhauer はこういう事を言っている。人間は容易に醒(さ)めた意識を以て子を得ようと謀(はか)るものではない。自分の胤(たね)の繁殖に手を着けるものではない。そこで自然がこれに愉快を伴わせる。これを欲望にする。この愉快、この欲望は、自然が人間に繁殖を謀(はか)らせる詭謀(きぼう)である、餌(え)である。こんな餌を与えないでも、繁殖に差支(さしつかえ)のないのは、下等な生物である。醒めた意識を有せない生物であると云っている。

ってショペンハウアの言を鴎外が引いた部分なんですけど。
近頃私が考えてることに近いので気が惹かれたというのが大きい。性欲は後天的な快感の学習によるものが大きいと前は思っていましたが、しかしホルモンバランスが変わるとざくざくっと性欲が削がれるわけで、先天的な部分が始めあるいは基礎にあると最近知ったのです。文化的な価値観でもなしに、まさに、自然が、関与していると知ったわけです。
あと、醒めた意識を以ていては繁殖に差し支えるっていうのを当然のように書いてあるのがいいなあと。生物学的には子孫繁栄のために性交を行うとされますが、それは結果論でしかないだろうと。自然の力を借りなければ、別の個体と密接にふれあうなんて気持ち悪すぎなわけで、子供生むー!という気力だけでは難しいと思うのです。

みたいな!!

あと、金井くんのお尻がねらわれる件、すごい気分悪くなります、というか、私だったら学校辞めるし。というか、金井くんほどひどくはないけど未遂られたことはあってトラウマだし。それでそのとき一番没頭していた趣味をやめました。まあ、これをネタにできる歳にようやくなりました。

「うむ。そんな奴がおる。これからは気を附けんと行かん」
 こう云って平気でおられる。そこで僕は、これも嘗(な)めなければならない辛酸の一つであったということを悟った。

クラモリ、救いがありません・・。

しかし、もし好みの異性におそわれるのであったらどうでしょう。好みでなくても異性におそわれるのであったら同性よりも少しはましではないか、と思うわけです。とすれば、これも自然が関与しているわけです。そんな重大な心証の差が、自分で明確に把握できない自然によって作られているとか、酷いじゃあないですか。なんということだ。

みたいな!!!


マクブクがシュークリーム食べたいというのですが、real forceも巻き添えになりました。残った部分は、口とティッシュを使いつつこれを片付けている間に、肘にあたって床にべちゃあとなりました。次は写真とってる余裕もなく、三秒以内に拾えた分をとりあえず口に放り込み片付けに勤しみました。
ついてないな!!



ついでにtwitterのこと。twitterって脳汁ださなきゃならないとか言いますけど、私は道化なので、そんなもの出ません。無理でする。AはBである、間違いない。とはっきりとした意見がききたいということだけなんでしょうけど、私は随筆調に責任逃れして書くのが得意なのでやはり無理でする。脳内変換してくれればAはBであるに即座になるんですけど実は。一方で私は狂気のあふれたポストを読むのが好きです。脳汁が緑がかっているやつね!
あと、この記事書いてて思ったのは個人特定された状態では書きにくいものもあるのでblogとtwitterは切り離すべきだなと、切り離されてよかったなと。この心理はあれだ顔出さなければ全裸パフォーマンスできます、みたいなものか。ぐぬぬ。
とある思い入れのあるアカの人からリムブされたらtwitterやめようと思っていたのにそれ以前にやめているという。道化が完全な道化になりきれなかったというか、こういうアカウントでいてください、という希望に応えられなくなったからだと思う。一時でももー無理という心理状態に、それがたとい深夜の記憶が残らない夢の中であっても、なったんだろなー。
前より時間は増えたような気がするんですけど、夜はニコ動にとられるようになったのであまり変わってない?細切れの時間はぼーっと思索するようになった。普通の人みたいなプレーンな作業・趣味もするようになったけど、これはもっと大きな流れ。
情報が入ってこなくなったのはつまらない。し、私は義理follow返しとかいらないし、しないタイプで、followしていたのはその人の発言を読みたいと思っていたからであるので、今でもRSSで全部受信するだけできるなら、したいなあと思う。しかし、私の存在は消したままで。ってできるんかいな。別の狂気アカウント作ってみてそこからfollowとかでもいいか。ばかやろう、とかサディズム罵倒アカウントでも可。しかし、そんなんにfollowされても気持ち悪いか。follow返しはいらないけど、迷惑はかけたくないな、わらい。
あと、あたらしもの好きなので普及してきた今はtwitterをする意味が一つなくなったみたいな、でもこの人がtwitter始めましたとかいう記事読んだり、ググって参考になったblogの中の人がtwitterやってたりすると、followしたいなと思う。
まあしかし、なかったらない、で済んでしまうんですけど。贅沢品のよーなものですから。
たくさん、書いたな!ということでおしまい。

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