灰羽連盟をまた見ていた。

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また灰羽連盟を見ました。これで5周目くらい?
よくこんなに濃い内容を13話に押し込んであるなあと感心します。とくに後半。
そして、やっぱりラッカ視点からレキをみると泣ける。「私の最後の希望を託すことを許して。」はいつも泣けます。

この作品の好きなところは、前の世界の記憶を失っていること。そして周りにも前の世界の自分を知る人がいないこと。後者がただの記憶喪失ネタとは違うところです。
過去の重荷が全部消えているというのは素敵だと思いませんか、さらに、記憶を取り戻すことに焦燥を感じる必要もない。
ただ、新しい世界についての不安と、世界を断絶する壁があまりにも身近にある故に、世界の向こうを知りたいという欲求が生じるけれども、しかし、街の人からは祝福されており、その世界の仕組みをそのまま受け入れることができれば楽しく生活できる。
過去のしがらみにとらわれて、逃避したいと考える人にとってはなんという、素敵。
「言葉とか自転車のこぎ方とかは覚えているのに」他は忘れるという、素敵な人生のリセットの仕方。

ラッカが河の匂いが懐かしい、とか、空から落下するシーンの始め、あるいは井戸に落ちた際に水面の反射するさまを水面下からみたものが映る、というのは溺死を示唆してるのかなあと。特に井戸に落ちるシーンで、雨音の中ドアの開く音と、そのあとにまたドアの開く音というのは、示唆的だなあと。二度目のドアの音はラッカの救済者が追いかける音なのではとか思ったり。

この作品では、声の無いシーンの潜在的な内面描写も印象的です。
たとえば、里帰りする年少組のダイと、ラッカを送り出すレキ視点のカットでは、成長したふたりに置いてかれるレキの寂しさが描き出されています。

過ぎ越しの祭りの終わった夜、ラッカは絶妙なタイミングで起きていますね。あのまま寝過ごしてたら、どうなってたんだ・・。「祭りが終わったら名札を渡して」、って祭りの次の日では遅いんじゃないか、なんという話師。そして、ラッカに「自分の思うようにすればいいんじゃない」といって、レキのことをラッカに任せつつも、実は陰から無事を祈っていたネムの立ち位置もいいなあと。レキが大変なときだとか全部知っているようなのですが、助けを求められる・救いを与えられるのはラッカであり自分ではないと分かっているようです。「レキを信じる」というフレーズがいっぱいでてきたなあ。信じられてるよ、レキ。

我々の世界における過ぎ越しの祭りはユダヤ教の脱エジプトに因りできたお祭りですが、鈴の実の風習などはないから直接の関係はないかなあ。なんか、ほおづき市のほうが思い出されますね。いろいろ混ざってる。西の森の神殿遺跡についてもギリシャのような多神教のような遺跡なので、アブラハムの宗教ではなさそう。しかし、「世界のはじまり」はアブラハムの宗教のそれですよね。我々の世界の視点からするとやはりいろいろ混ざってる。

この作品は現代の作品と比べものにならないくらい、絵が崩壊していたり、口パクが全く声にあっていなかったりするのですが、それでも脳内で修正をかけて見つづけることができることに気がついた。表情の種類は多彩だったけれども。現代の作品に足りないものはストーリかなあと思った。この作品くらいもっと濃縮した話をつくってほしいです。絵は適当でいいので。
一方、声はラッカが後半巻き舌っぽいところがあるけれども、しかし、それが良いと思う。ラッカの澄んだ声、感情的な声は、絵を補うだけの力がありました。

明日が来なければ良いのに!

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